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渦巻きヒッチハイク 第三夜『23000』ウラジーミル・ソローキン

渦巻ヒッチハイク ロシア

23000: 氷三部作3 (氷三部作 3)  f:id:yoiyoRu:20160822145609j:plain

[あらすじ]

冷たい氷のハンマーで胸を殴られ、「真の名」に目覚めていく金髪・碧眼の者たち。
21世紀初頭のモスクワで暗躍する謎のカルト組織〈兄弟団〉の目的は?
世界中に散らばったその仲間達、総勢2万3000人。彼らが一堂に集結した時、一体何が起こるのか?
鍵を握るのは「誘拐される幼児」「コギャル好きの暗殺者」、そして結束を始めた「被害者」たち・・・

現代ロシアが誇る怪物級作家・ウラジーミル・ソローキンの最新邦訳作であり、『氷』『ブロの道』に続く"氷三部作"完結編。満を持して渦巻ヒッチハイクに登場!

2016.7 河出書房新社

 

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain こんばんは!みなさま良い夜すごしてますか。ヨイヨルです。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 「心臓〈こころ〉・・・・・  心臓〈こころ〉が・・・・・・」

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain ん?なにやらコパさんの様子が。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 「心臓〈こころ〉で!語れ!!心臓〈こころ〉で!語れ!!」

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain ガシャーン!ドゴォ!! 「名を名乗れ!!自身の名を!!」

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 「心臓〈こころ〉が・・・・・・  泣いている・・・・・・?」

キラキラキラキラ・・・・・・

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain「コパァ・・・!」

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain はい、ということでお久しぶりです!暴力と狂気の文学対談シリーズ、渦巻きヒッチハイク。今回もお相手はわたくしヨイヨル(暴力担当)と!

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain コパさんアートブック(狂気担当)の提供でお送りします。

 

■祝!氷三部作、完結!! 

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 寸劇は終わったかな?じゃあいつもどおりばしっと紹介頼むよ、ヨイヨルくん。今日はなんだっけ、ゼイディー・スミス『美について』だっけ?

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain やめて!膝に矢が!膝に矢が!

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain ゼイディー・スミスについては、色んなことを学ばせていただきましたね。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 本当に勉強になりました(泣)。えっと、今回取り上げるのはソローキン「氷三部作」の完結編、『23000』です。3部作なんですけど、この3部作、執筆の時系列との関係がやや複雑で。

2015年初頭に『氷 氷三部作 2』がでて、そのあと『ブロの道 氷三部作 1』、そして『23000 氷三部作 3』で完結を迎えました。いきなり2から邦訳されたので出たときはやや混乱しましたね。河出、大丈夫か?ちゃんと完結まで走れるのか?と不安でしかたがなかった・・・。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain どうでした、ついに完結でしたけど。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain いや〜、氷三部作はいままでの作品と比べるとエンタメにかなりステ振りしてて読みやすさが段違いでしたね。うんちも食べてないし。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain いきなり暴力的に汚いことを言うね。さすが暴力担当です。
たしかに一言で言うととってもエンタメでしたね!飛浩隆のコメントの通り。この帯なんだかいいんですよね。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 飛先生のは良かったよね。「ブロック・バスターやんけ!」ってまさにその通り。

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f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain まずはかんたんに著者紹介いいですか、ヨイヨルさん。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain えーと、ソローキンは1955年生まれ、モスクワ育ち。70年代はコンセプチュアルアートなどの前衛芸術運動に参加していて、この頃は本の装丁などを手掛けるデザイナーだったそう。小説家としてのデビューは85年の長編『行列』(まだ邦訳はされていません。泣)、この作品が多くの言語に翻訳されて流通したのもあって、欧米で人気が出てきたんだよね。

一方本国ロシアでは、ペレストロイカ時代の検閲なんかの影響もあって、ソローキンの過激な作品は世に出回るのが遅かったみたいだけど、いまやブッカー賞にもノミネートされている、もう国際的な超売れっ子作家です。あと顔が良い。

 

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain スゴイ!コピペっぽい解説が挿入されてきた!その調子で亀山さんに呼ばれて外語大にいた下りも頼むよ。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain わ〜バレてる。そうそう、亀山先生に誘われて、ソローキンはなんと一時期東京外語大で先生をやっていて、吉祥寺に住んでたんだよね。中央線沿線はやはり国内外問わず文学徒の聖地だったわけか・・・。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain ロシア作家にありがちな、ペレストロイカ後にようやく陽の目を見た作家なのでベテラン作家だよね。
誰かが言ってたんだけど、ロシアの作家が売れるには2回売れなけきゃいけないんですよね。ペレストロイカ前と、ペレストロイカ後と。誰かは忘れました。てかこれロシアじゃなかったかも。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 相変わらず海馬が仕事してないね。

 

■あふれでるソローキンへの愛

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain もうね、そもそも我々は以前からソローキン大好きなんですよね。ヨイヨルさんは全部買ってますよね。

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※日本で出版されているソローキン全著作早稲田文学ソローキン来日回。右から刊行順。『青い脂』だけ早稲田文学で読んでたので文庫をあとから買っています。(ヨ)

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 全部新刊で買ってるよね。愛してるから。私のカネでいい思いしてほしいから。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 特にここで紹介したいのは、98年に国書刊行会からでた『ロマン』ですね。これがもうとんでもないブツでした。大ヒットした『青い脂』以前からソローキンを追っていた人は、みんなこれでぶっ飛んだんじゃないかな。

簡単に紹介したいんだけど、あらすじはまぁちょっと言えない小説で。ただ読書体験としては唯一無二、後にも先にもこれだけのものがあるっていう感じです。ものすごく実験的で。現代アーティストなんですよね。このころのソローキンは。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain THE・帯でネタバレ代表作こと『ロマン』ね!私も『青い脂』でなんじゃこりゃスゲー怪物がいるなと思って『ロマン』読んでみたらもう大変なことに。大変なことになってたわけで。(大切なことなので二回)
※帯(しかも背表紙の部分)でネタバレしてるので上の写真からは帯外してますけど、本屋では普通についてるのでネタバレが気になる方はお気をつけください。

本編ぶっ飛んでてすっばらしいんですけど、なんせ帯もジャケもひどいっていう(笑)。

 寄ってるだけだからね。2巻目。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain これほんと何の意味あるんだろ。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 最初は田舎の素朴な若い二人の恋、そして結婚式での楽しいどんちゃん騒ぎを描いてるザ・ロシアンラブストーリー・・・だと思ってました。2巻の254ページくらいまでは。これが日本で出た初のソローキンだもんな。さすが国書刊行会。度胸ある。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 『ロマン』ばっかりは読んでみてもらうのが一番ですよね。ぼくは読み終わった後すぐ夜道を駆け出しました。興奮しすぎて。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 続いて『』。これは『ロマン』刊行の翌年、99年に出た短編集。これまたジャケのダサさがウリの、日本では唯一刊行されているソローキンの短編集ですね。『愛』もソローキン味を思う存分堪能できる作品集なので食事時に読むのがおすすめかな。結構濃密です。短編集はまだこの一冊しか出てないから、他のも読んでみたいですね。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 一点訂正すると、食事時にはぜったいに読まない方がいいと思います。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain で、そのあとは日本国民全員が買っている『青い脂』でしょ。これのあらすじとかはもういいよね。で、『親衛隊士の日』。えっと・・・この子は、知らない子、ですね・・・?コパさん知ってる?

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 思い出したくもないですね。正直イマイチなのでとばしていいんじゃないですか?

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain ウッ。過去の著作を振り返ってみると、それぞれ根底にはソローキンみがあるにせよ、それぞれ結構違った作風なんだよね。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain だから、「氷」3部作は、文体的な意味ではホントはなんでも書けちゃう天才・ソローキンがついにエンタメを書いた!っていうことなんです。

 

■氷のカルト集団の目的って??

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain で、『氷』『ブロの道』『23000』と氷三部作として書かれたわけだけど。あらすじにも書きましたが、おもに起こっていることは金髪碧眼の謎のカルト集団たちのワールドワイドな仲間集め。部によって組織の始祖であるブロの視点だったり、被害者視点だったり、サスペンス調だったり黙示録調だったり、さすがのふり幅を見せてきましたね。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 最終巻『23000』は氷のハンマーで殴られたにも関わらず、「目覚めなかった」人たち、通称「死に損ないの雌犬たち」が光の兄弟たちに殺された肉親たちの仇を討つべく、彼らの秘密を探りに行くという冒険活劇。で合ってるよね?

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain そう、『23000』は一番線的なストーリーが展開されて、サスペンスフルでとても面白かった。コギャル好きの暗殺者編は、舞台が東京だったりもするし。そもそもコギャル好きの暗殺者ってなんだよ。

で、三部作通じて読者に問いかけられるのが、「この組織、いったいなにやってんの??」ってことなんですけど。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain コギャルのシーンはさすが親日!という感じでしたね。
そうそう、そもそも金髪集団の来歴と目的がよくわかんない。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 政治的目的でもなければ単純な異端の神への信仰でもないんだよね。

自分なりに考えてみたんだけど、この組織としての兄弟団が特徴的なのは、「説得」と「論理」の集合体ではなくて、「直感」と「暴力」だけによる組織化を行うところだと思う。

金髪碧眼の人たちは、みんな市井の人々。それが、いきなりとっつかまって、胸を氷のハンマーで殴ったらカルト組織の兄弟として〈目覚め〉ていく。こんな組織のつくりかたったらないよ。

ナチスムッソリーニスターリン・・・。二十世紀のファシズムを用意した国家組織が少なからず思想的な論理を背景にしていたのに対して、兄弟団のオルグ(勧誘)の仕方はすべてムチャクチャ。「心臓を叩けば・人智を超える」という、暴力からのいっせーのーせの飛躍なんだよ。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain それもう物語の核心じゃん。核心アートブックじゃん。論理が暴力や直感みたいな感覚的なものにすり替わってるってことなのか。なのか・・・!?

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 核心アートブックなので続けるね。つまりこれって、学生闘争時代に「ゲバ棒で殴れば人は正しい共産主義者になる」と思っている末端成員と同じ論理。

最初は「氷のハンマーってなんだよ笑」って思うのだけど、その「なんだよ」と感じることこそがポイントで。ウケるんだけど笑いどころではなく、読むごとにものすごく現代的なメタファーだと思ってきた。こういう政治的動員に「正しさ」「理性」「知識」が必要なくなった世界を描いているんですよね。哲学の伝統に照らせば、「主知主義」と「主情主義」の対立。ソローキンもこの作品を「主知主義への挑戦」みたいなことさらっと言ってるしね。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 光の兄弟たちが言ってるのって、「心臓<こころ>で語れ!」「心臓<こころ>で触れろ!」とかで、もうそこにはなんの論理的根拠もないものね。てか知性がない。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 知を媒介にしない、感情的で暴力的な〈別の世界〉参加への動員、ってトランプしかりヘイトスピーチしかり、いやーな感じで見たことのある風景な気がしてきませんか。ホラ。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain そっか、氷の兄弟たちから感じた既視感はそれだったんだ!!超納得。アンド鳥肌。現実じゃんこれ・・・

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 『青い脂』なんかの表面的な筆致だけみると、やたら軽快で(下品で)意味不明でポストモダンな作家とも読めるのだけど、だとやっぱり集権的な社会構造というものについて考えざるを得なかったロシアらしい芯のある作家、しかもとても現代的なアップデートがされている感じがする。いくらエンタメに寄ったとしてもソローキン、一筋縄ではいかなかった・・・。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 現代のネットとかのガジェットも作品中で多用されてたしね。今作だと「肉機械」「鉄機械」なんて言葉を使いなが社会構造を単純化して羅列していくのも笑っちゃうのと同時に、なんかいやな汗をかいてしまうよね。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 最終巻のラストは三部作の最後を飾るにふさわしい素晴らしいスケールの場面が描かれます。そこについて解説の松下さんは「和解」と書いていたけれど、ラストはそう読まなくてもいいと思う。オープンエンドだとは思うけどね。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain ラストは私も「和解」とは読まなかったな。強烈な皮肉かつ、また同じようなことが繰り返されるんだという、恐怖が大きかった。大きかったんだけど、ラストのセリフがもはやギャグだったから、やっぱりちょっと笑っちゃった。

■日本のソローキンはだれ!?

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain いまや広く人気のソローキンだけど、似た作家というのはそれほど多くないね。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 最近だと木下古栗だと思う!「Tシャツ」(『金を払うから素手で殴らせてくれないか?』所収)読んだ時に「これソローキンじゃん!?!?」ってなったね。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain そうね、中原昌也、木下古栗の荒唐無稽さは、ソローキンの破滅的な起承転結につながるよね。あとは海外だとゴンブローヴィッチとか。でも実は、ソローキンは漫☆画太郎が好きな人がハマると思うんだよね。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 漫☆画太郎!?嘘でしょ!?何その地球一周半してあえての漫☆画太郎みたいな選出。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 繰り返されるコピペメソッドと下品さがね・・・。


■松下さん、テルリア翻訳中!

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 本国では2013年に刊行された最新長編『テルリア』が、現在『早稲田文学』で翻訳連載中。翻訳者は引き続き、仕事が速いことでおなじみ松下隆志さん。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 連載読めてないんだよね。今度はどんなのなの。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain えっとね、舞台は、近未来のロシアとヨーロッパで、異形の者たちがあたりまえに存在する世界として描かれてるよ。『テルリア』はこの世界で流行中の新型麻薬<テルルの釘>をめぐる物語。<テルルの釘>は直接脳に打ち込むと願望が叶ったり秘められた能力が開花したりする一方、失敗すれば死に至るというもの。このガジェットがまさにソローキンだね(また打ち込み系。笑)。
各章ごとに違った文体、違った登場人物ということでソローキンの十八番、文体芸も期待できそう。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 各章で文体・・・頭に釘を・・・笑 期待たかまるね。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 『テルリア』は2017年秋、河出書房新社から刊行予定ということで、めちゃくちゃ楽しみ。


■まとめ

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain いやー今回の渦巻ヒッチハイクは愛に満ちていたね。やっぱり好きな作家を紹介するのが一番!
最後にソローキンになにか一言伝えたいことありますか?

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 結婚してください!!!!!

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【番外編】渦巻きヒッチハイク 第二・五夜 『美について』ゼイディー・スミス

美について

[あらすじ]

フォースターの傑作『ハワーズ・エンド』を下敷きに、レンブラント絵画の研究をめぐり対立するハワード家とキップス家と、その家族たちの群像劇を軽やかな筆致で描いた英オレンジ賞受賞作品。

2015年、河出書房新社刊。

 

皆さんお久しぶりです。ヨイヨルです。ようやく梅雨明け!夏本番!海か?山か?プールか?いやまずは、本屋!
ということで、今回もお届けします、流浪の文学対談シリーズ・渦巻きヒッチハイク

・・・と、いきたいところなんですが、今回は番外編です。
全国三千万人のファンの方には申し訳ないのですが、いつものボケ殺し対談相手、コパさんアートブックさんにはお休みいただいて、ヨイヨルソロでお送りします。

まずはこの本の著者のゼイディー・スミスについて。ゼイディーはロンドン北西部で75年生まれ。お母さんがジャマイカ人で、お父さんがイギリス人。ケンブリッジ大学在学中に書いた『ホワイト・ティース』(残念ながら絶賛絶版中)の草稿が各出版社から引っ張りだことなり、出版後はまたたく間にベストセラー。20カ国語以上にも翻訳されています。

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ゼイディーのご尊顔。うーん。才女顔。賢さがにじみ出ております。かわいい。 

で、『美について』。
遡ること三ヶ月ほど前、この本を次回の渦巻きヒッチハイクの課題本としよう!となり、頑張って読んだわけです。既刊『ホワイト・ティース』、そして『美について』の元ネタ本ことフォースター『ハワーズ・エンド』もヒーコラ言いながら読みました。

遡ること我々は表題の通りゼイディー・スミス『美について』を課題本として読み、ドラフトも完成し、よしこれであとは公開!となった時点で思ったのです。

 

「・・・コレ、おもんなくない?」

 

そう、何を隠そう、『美について』、我々はいまいち楽しめなかったんですよね。や、佳作ではあると思います。ゼイディーの文章の「巧さ」はとてもよく出ていたし、コロコロ転がっていくスラップスティックな物語の楽しさもありました。

しかし、とにかく冗長なのが私は特にダメでした。『美について』だけじゃなくて日本で翻訳されている既刊はどれも長い・・・。その理由のひとつとして、登場人物たちがとにかくおしゃべりで、会話劇で話が進むところ。(それが読みやすさにもつながっているから、ひたすらページ数はあるけれど読みにくいわけではないです。)でも私には「そんなしゃべんなくてよくない!?」っていう印象でした。あと、うーんもうこの際言ってしまうと、中途半端。前述したスラップスティック的なテンポの良さ、無いわけではないけれど、どこかゼイディーの冷めた眼があるというか。斜め上から事象を描いている感じがして没入はできなかったです。それが不満でした。

ということで、ゼイディー回は泣く泣くボツにすることに・・・。というのが三ヶ月前の出来事です。やっと傷が癒えたのでエントリとして書きました(笑)。
私は『美について』よりも『ホワイト・ティース』のほうが好きかな。白人にも黒人にもなりきれない、そして「移民アイデンティティ」的なものも実感として湧かない、そんな宙ぶらりんの若者たち、そして両親たちの葛藤が描かれている作品です。ラストもオープン・エンドで好き。もし興味があったら読んでみてください。絶版だけど、図書館にはあると思います。

そして!ゼイディー回の読者全員サービス特別ふろくとして用意していた、『美について』「作中登場主要絵画」の資料をここで公開します! ワーワー!これも結構がんばって作ったんだよ(泣)。これ、あると結構便利だと思いますし、読書の手助けになることは間違いなし(泣)。ぜひご活用ください。

以上!ボツネタ鎮魂エントリでした。次回は普通の対談にしますので乞うご期待。
それではまた。

 

東京国際文芸フェスティバルレポート(後半その②) 3月5日 スティーブ・エリクソン×古川日出男

本のぐるり
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ついに最終回を迎えます文芸フェスレポート。長かったですね(他人事)。さて、今回は3月5日、東大で行われた講演会の第二部、スティーブ・エリクソン×古川日出男の対談です。司会は第一部と同様、柴田元幸

前回に引き続きろくな写真がないのでエリクソン×イモータンジョー。この写真の意味は本文に・・・!

スティーブ・エリクソン×古川日出男

しょっぱなから圧倒されたのが、エリクソンのオーラ!!巨匠すぎます。あの眼光で射抜かれたら一瞬にして焼失します。全身から立ちのぼる巨匠オーラがやばい。エリクソンを目にした瞬間から「畏怖」という言葉が私の頭上にのしかかってきました。
(隣の島の席でエリクソンが前半のセスの話を聞いていたのですが、セスはよくあんな眼光で見つめられて平常心で耐えたな・・・私だったら壇上で盛大に吐くと思う)
ニンゲンは大いなるエネルギーを持つ生命体を畏れ敬う・・・ということで完全にエリクソンのイメージがマッドマックスのイモータンジョーで固定されました。似てるよね。V8!V8!

エリクソンはなんと19年ぶりの東京だそう。東京は『真夜中に海がやってきた』でも書いたように、様々なイマジネーションを喚起する都市、と言っていました。魔都TOKYOへようこそ。エリクソンの作品と東京は相性がいい気がするから、また東京を舞台にした作品を書いてほしいな。

・翻訳最新作『ゼロヴィル』について

2月末に日本ではエリクソンの『ゼロヴィル』が柴田元幸訳で発売されました。「映画自閉症」の主人公と様々な映画、そして現実が錯綜する・・・とのことですが、私はまだ読んでいません(すみません)。

ゼロヴィル

ゼロヴィル

 

『ゼロヴィル』は父に拒まれた男と父になろうとする男を描いた作品でもあり、旧約聖書のアブラハムとイサクの物語への反論なんだそう。

まずは古川氏の『ゼロヴィル』評から。一本の映画を何度も観ることと、千本の映画を一度ずつ観ること、それらが共有しているものが浮かび上がってくる、それは創造であり作家が行っているただひとつのこと、つまり「世界を創ること」。

そして古川日出男エリクソンそれぞれの『ゼロヴィル』朗読。途中でエリクソンと古川氏の声が交差してこれはメチャクチャカッコイイ・・・!

古川日出男の「音楽」エリクソンの「映像」

古川氏曰く、「エリクソンの作品では句読点でカット割りが変わっていく、文章と文章の間にカメラがあって、それが向きを変えて映像を映し出しているよう 」。

それに対して古川日出男作品は「句読点でビートを刻んでいる」。この表現には膝を打ちました。確かにその通りで、その時私はエリクソンの『Xのアーチ』を読んでいたのだけれど、言われてみると『Xのアーチ』でもカメラがヴーンと首を回しているような長回しの映像とモンタージュ、それがエリクソン作品の特徴でもある幻視的な文章を支えているのだなと納得。
ただし『ゼロヴィル』では映画が映像部分を担っているので、作品自体は視覚的なイメージには貢献していない、とエリクソン。「若いころはイメージがどんどん湧いてきて大変だったけれど、今は歳を重ねたこともあり、視覚的なものの代わりに触感や匂いなど、他の要素を取り入れるようにもしている」とのこと。

 司会の柴田元幸は「フォークナーの作品もクライマックスにも音が無いと言われており、劇的なシーンで無音となるエリクソン作品にも通じるものを感じる」と言っていたのだけれど、確かにエリクソン作品では音が非常に少ない。『Xのアーチ』で鳴っていた音は、私の場合は吹きすさぶ風の音。海のそばの塩気をはらんだ冷たい風、荒涼として大地に乾いた土埃を巻き起こす強い風、それが『Xのアーチ』のBGMでした。
古川日出男の作品は文章そのものが音楽のようだけれど、エリクソンの作品は「風景から音が鳴る、音はあとから湧き上がってくる」、言葉が言葉でないものを立ち上がらせる不思議。

古川氏は執筆時には必ず音楽をかけるけれど、エリクソンはほとんどかけない、かけても環境音楽のような声の入っていないもの、というのも印象的。

「『信頼できない語り手』ではなく、『信頼できない風景』というのがエリクソンの作品ではキーになっている」、この一言が核心を突きまくっておりました。

・言語化されたアメリカを描く

エリクソンは「想像力は歴史に追いつけない。個人的な経験や想像力で歴史に追いつこうとしても、どんなに脱構築しても、それを超えたものが歴史から現れてくる」と言っており、リアルを追求するためには反リアルにならざるをえない、そのスタンスがエリクソンの描く幻視的な作品を構成するひとつの要素なのだなあと。

契約、つまり言語によって出来た「国家(アメリカ)」を描き続けるエリクソンと、契約から発生したわけではなく、言語化された国家を持たない日本を描き続ける古川日出男。フォークナーと中上健次の対比も講演で言及されていましたが、それが現代文学ではエリクソン古川日出男に置き換えられるのかもしれません。

 

以上、長くなりましたが国際文芸フェスティバルのレポート、最終回でした!

国際文芸フェスでは他にも沢山色々な魅力的なイベントが行われていて、その多くが無料だったのにも驚きました。誰でも手軽にこのような質の高いイベントに参加できるのは本当に素敵。是非毎年開催して欲しいです。たのむ〜〜〜!

 

 

 

東京国際文芸フェスティバルレポート(後半その①) 3月5日 セス・フリード×藤井光

本のぐるり
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ということで、文芸フェスティバルのレポート後半その①です。
書いてみたらボリュームがありすぎだったので二回に分けます。

今回は、3月5日に東大で行われたセス・フリード×藤井光/スティーブ・エリクソン×古川日出男の豪華な講演に行ってきました。司会は柴田元幸。文芸指数が今回も振りきれてます。(文芸指数?)

ろくな写真を撮らなかったことをメッチャ後悔してます。これは講演が行われた東大校舎の写真。

◆セス・フリード×藤井光 

オープニングでも刺激のあるお話をたくさん聞かせてくれたセスと藤井さんのコンビ再び。今回はセスの著作『大いなる不満』を主軸に、セスの考える創作や、物語との距離について、チャーミングな笑顔を振りまきながら話してくれました。

大いなる不満 (新潮クレスト・ブックス)

大いなる不満 (新潮クレスト・ブックス)

 

 

・セス・フリード来歴&影響を受けた作家たち

現在のアメリカ文学は創作科出身の作家がメインストリームとなっていて、セスもその一人。エリクソンカリフォルニア大学の創作科で教鞭を執っています。

アメリカ文学における創作科の話は弊ブログ大人気コーナー(自称)「渦巻きヒッチハイク」のマヌエル・ゴンザレスの回でも触れているので良かったら是非。

セスの作品は、リアリズムとは距離を置いた設定が多くて、時代も距離も現実と大きく離れたところに舞台を据えるのが特徴的。セス曰く「リアリスティックなものも幻想文学も、どちらも現実そのものにたどり着くための道筋」。これにはものすごく同意!「フィクションだ」「現実味がない」というだけで物語を遠ざける人たちも多いけれど、フィクションこそが現実をしっかり見据えるためのメガネのようなものだと私は思っています。

彼が影響を受けた作家は、ミルハウザーカルヴィーノカフカなど。彼らの作品に共通しているのは、「こんなものも小説になりうるんだ!(笑)」ていうところ。断片的な思考、プロットのなさ、凄惨なのに笑ってしまうところなんかが大いに作品に影響を与えているそう。

・『大いなる不満』大解剖!

そして、訳者の藤井光さんによるナビゲートで『大いなる不満』収録作を順を追って、セス本人によるコメントも交えて紹介していくという読者垂涎のコーナー。

藤井さんによるとセスの作品に出てくるのは「残念な人たち」。考えていることと実際にやっていることのギャップが大きくて、「これは・・・笑うとこなのかな?」と最初に読んだ時は思ったそう。そして「登場人物が全然成長しない(笑)」。最後まで読んで、「コレは笑っていいんだ」と納得したということなんだけど、これは私もすごく共感。セスの作品は、通じてとても静かで淡々とした筆致。なのに、真顔でとんでもないことを言い出したりするのがとてもおかしくて、だからこそハッとさせられることも多かった。
なんせ大ボリュームなので全部は書ききれないけれど、印象深かったものをいくつか紹介します。

「フロスト・マウンテン・ピクニックの虐殺」Frost Mountain Picnic massacre

フロスト・マウンテンで開かれる大規模なピクニックでは毎年大虐殺が起こる。人々は凄惨な死に方をしてゆき、慈悲も何もない。それなのに、ピクニックは毎年開催され、参加者も絶えないというお話。前述した「凄惨なのに笑ってしまう」のが特徴でもある作品。「酷いことが繰り返されるうちに笑うしかなくなってくる」というのがテーマ。この作品を書き始めたのは2006年、銃による事件が多発していてもう「笑うしかない」状況だったのが創作の背景にあるとのこと。
この作品は私にとって「セスの作品を人に勧めるならまずはコレ!」というくらい印象深いもの。静かに繰り返される暴力とその裏にある「笑い」のバランスが見事な作品です。

「ハーレムでの生活」Life in the Harem

藤井さん曰く「女性には大人気、男性はこの作品に触れるのを何故か避ける」という作品(笑)。私もこの作品、大好きです。

この作品は、醜男が王様が抱える美男美女は勿論、身体欠損のあるニンゲンたちをも集めたハーレムに突然放り込まれて、自分の欲望と王の欲望に対峙してもみくちゃになっていく姿を描いたもの。セスはこの作品を「自分が抱えていない問題を描くことでその問題を食い物にしているという居心地の悪さに対して作家としての社会的責任を負い、白人男性であるという視点から離れずに書いたつもり」とのこと。欲望と向き合うことって、道理では切り捨てられないモヤモヤしたものがあるけれど、そのモヤモヤがきちんと作品に昇華されています。

「征服者の惨めさ」The Misery of the Conquistador

私は『大いなる不満』の中でこれが一番好き!「プロットがない作品。社会的構築物であるお金が主題、お金を沢山持っていることがその人の価値になる世界に関しての話で、一番感情がこもっている作品」とセス。繰り返される「鬱蒼とした森で、私は女を殺す」というフレーズが独特なリズムを伴って、暗く静かな森のなかでの暴力のイメージを喚起する作品。この繰り返しと断片的なイメージの応酬が少しベケットに似ている気もしたなあ。

最後にセスと藤井さんによる「微小生物集 ー若き科学者のための新種生物案内」から「ソニタム」の朗読。

質疑応答では、「渦巻きヒッチハイク」でお馴染みのコから始まりパで終わる名前の人が藤井さんに質問を!

藤井さん翻訳する作品は、比較的日本ではマイナーな作家が多いけれど、翻訳する作品を選ぶのに何か基準のようなものがあるのか?という質問に対して藤井さんは「実際に自分が読んでみて、何ヶ月も心に残っているもの。セスの作品も本国ではAmazonレビューが11件しかなかったけれど(笑)、ずっと心に残り続けていた。注目はされていなくても、そういう作品を見つけると「コレは自分の仕事だ・・・!」と思います(笑)」とのこと。

また、セスの新作はなんと初の長編でタイトルは『メトロポリス』。ディストピアSFっぽい作品のようす。藤井さんは目下原稿を読んでいるそうで、これも翻訳が出るのが楽しみです。

海外文学翻訳界の若き旗手であるところの藤井さん、このたび単著が発売になったようです。(みんなたち、絶対に読んでいくぞ) 

以上、文芸フェスレポ:セス・フリード×藤井光編でした。長くてすみません。
次回は文芸フェスレポついに最終回。いよいよ大巨匠・スティーヴ・エリクソンの登場だ!刮目せよ!

 

東京国際文芸フェスティバルレポート(前半) 3月2日オープニング!

本のぐるり

 

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来たぜ、文芸ファンのお祭り!ということで、3月2日から6日にかけて開催された東京文芸フェスティバルのうち、2つのイベントに行ってきましたので、そのレポートをお送りしたいと思います。前半はオープニングについて。

※内容に関してはうろ覚えのところもあるので、詳細に関してはきっと後々公開されるであろう各種雑誌でのレポートなどをご覧いただくと良いかと思います。

3月2日 オープニング

場所は六本木のアカデミーヒルズ。選ばれし民しか利用できない高級自習室の代表ことアカデミーヒルズの中にあるホールで行われた文芸フェスのオープニング。入場からしてインターナショナルかつアカデミックな雰囲気がすごくてまごつきましたが、直前に観た「ヘイトフル・エイト」のド派手な血糊シーンを思い浮かべて勇気を奮い立たせました。

まずはイベントのスポンサー・日本財団理事長の挨拶、アメリカ大使館の方、沼野充義大先生のありがたいお言葉など。
沼野先生曰く「今回、参加予定だった作家の何人かが政治的な理由などで来られなくなってしまったことなどもあり、こんなところで平和にお祭りやってて良いのかな?って思う人もいるかもしれません。でも、今いる場所で今できることをする、だからこのお祭りで文学を通して、文学を楽しむことが大切なんです。だから思いっきり楽しみましょう」とのこと、コレは本当にそう、世界は色々大変だけど、このフェスで文学に触れて、触れ直すことで世界を知ること、それが今できることの一つだと思います。

 

<第1部>
「私たちはただのノイズ、私たちは言葉で出会う」

NY、韓国、沖縄などから来た子供たちのポエトリーリーディング。子供の頃からこういうイベントに立って自分の作品を朗読するのって、ものすごく貴重で稀有な体験だと思う、みんなちょっと恥ずかしそうだったけれど、概ね笑顔で良かった。今回の子どもたちの詩がどうというより、彼らが将来どんなふうに詩や文学にコミットしていくのかが私はとても楽しみ。

続いて、エリザベス・アレクサンダーが登壇。彼女はアメリカの詩人・エッセイスト。大学で教鞭もとっていて、オバマ大統領就任式での朗読が有名。彼女は詩人が担う役割をホイットマン、ロバート・ヘイデンなどの作品を交えて分かりやすく話してくれた。移民なくしてアメリカの今後はない、「所有物」であった奴隷たち、「所有者」であった人たちの沈黙に息を吹きかけること、「思い出して」いくことが大切なんだよって話で、私はちょうどエリクソンの『Xのアーチ』(これも奴隷の女性をめぐるお話)を読んでいたのですごく納得。
「詩人の仕事は、民族の歴史を描いていくこと、真実を謙虚さを持って語ること」これを詩人の肉声で聴けたって事実でもう泣いてしまう。

オバマ大統領の就任式のために詠まれた『Praise Song for the Day』を彼女の声で聴く。(配られた冊子の訳は柴田元幸

詩人の声は本当に、彼女も言っていたとおり、お腹に直接生きて届く。目で読むだけじゃ伝わらない何かが、朗読には絶対にあって、特に詩はそれが大きいなあと改めて実感。詩には音読することで爆発する何かがあるんだよなあ、何なのかはわからないんだけど。

どうでもいい、いや、よくないんだけどこの会場、椅子が固くてお尻が痛い。

<第2部>
離れるほどに近くなる ―私から離れて生まれる物語、私の中から生まれる物語

小野正嗣をモデレーターに、イーユン・リーと角田光代のトークセッション。小野さんのスーツがメチャクチャオシャレだったので目が潰れました。

角田さんは元からイーユン・リーの大ファンだったらしく、大好きですオーラがビンビン。イーユン・リーも瞳がキラキラしていてとても素敵。

特に印象的だったのは、二人が小説のネタ(無粋な言い方でごめんなさい、セッションではこの言い方はしてません)をどこから拾うか、というお話。イーユン・リーは新聞の誰も見ないような小さな記事から物語が生まれることがあると言っていて。「ダイナミックな事件や事故は、それだけでドラマになってしまう、私達がやるべきは小さな市井の声を拾うこと(大意)」、この言葉が今の新しいアメリカ文学のキーワードでもある気がしました。

イーユン・リーは物語を書くときに、「物語と物語が語り合う」、他の物語と呼応するように書くことがあるとも言っていて、これもすごく興味深かった。文体や描写風景なんかがほかの物語と呼応して新しい化学反応を起こす・点と線が繋がる感覚は読んでいてもあって、単なる「元ネタ」「影響」というものを超えた不思議な感覚が生まれるのが文学の醍醐味よね。

この時点でもうお尻が痛くて限界。選ばれし民たちが利用するスペースをウロウロして六本木の夜景などを堪能するも、ケツの痛みはどこにも行かない。

<第3部>
キテレツのチカラ ―フィクションにしか伝えられないもの

 我らが翻訳界のアイドル、藤井光をモデレーターに、セス・フリードと西加奈子のトークセッション。

「皆さん、お尻痛くなってませんか―?ストレッチしますかー?」という西さんの優しさでお尻が爆発しつつ、第一部が終わったときに張り切って空いていた一番前の席に移動したら、完全に関係者面になっていたことに気づいて卒倒しそうになりましたが、業界ナンバーワンブログ代表なので、こんなことくらいで負けない。(顔面蒼白)

テーマは「キテレツのチカラ」。セスの紡ぐ物語は設定が結構突飛で、 時代も距離も遠いところが多いのに、「これって私のことなんじゃない?」なんて感じてしまう不思議について。(このことは後半、東大でのセッションでも語られているのでそちらで詳細を書きます)西さんの持っていたセスの著作『大いなる不満』は付箋でビッシリ。私は西さんの著作は読んだことがないのだけれど、「(どんなにキテレツな話でも)自分が本当に信じられることしか書かない、私にとってはカモメがエッキョーーーって鳴くのは真実なんです」と語っていたのがすごく響いてしまったのでエッキョーーーって鳴く小説読みます。(どれだかわからないのでインターネットにいる賢者たちに教えてもらいたい)

そしてセスと西さんの著作について、ふたりとも猿を逃がすお話を書いている、というのがすごくかわいかった。(セス・フリードの猿を逃がす話は『大いなる不満』収録の「格子縞の僕たち」)猿を逃したいふたり。猿は逃したいよね。そして私たちはMONKEYを読む・・・

とにかく、西さんの笑顔がめっちゃキュートで、セスもそれに引っ張られてニコニコしてたのが可愛くて仕方なくて、そればっかり見てしまい話をろくにメモせずにいたせいでこれくらいしか書けないのだけれど、ふたりの物語との距離感の取り方、遠くから日常へ、日常から遠くへの羽ばたき方を聞いて、どっちにしたって、現実を強固にするためのものなんだな、物語は現実から逃げるためのものではなくて地に足をつけるためのものなんだ、と拳を握りしめ、痛むお尻を抱えながらもホクホク顔で帰路につく私でありました。

ということで前半レポートでした!後半に続きます。

 

渦巻ヒッチハイク 第二夜『バンディーニ家よ、春を待て』ジョン・ファンテ

渦巻ヒッチハイク アメリカ

国内外問わず色んな本をヒッチハイクして行こう!世界の果てのその先へ!ということで始まりました渦巻ヒッチハイク、今回は第二夜。はてさて今夜はどんな旅になるのやら・・・。

 

バンディーニ家よ、春を待て f:id:yoiyoRu:20160301160114j:plain

[あらすじ]

舞台は1920年代のアメリカ、コロラド州のとある冬。イタリアからの移民である父ズヴェーヴォ、敬虔なカトリック信者の母マリア、そして14歳の長男アルトゥーロをふくむ三兄弟からなるバンディーニ家は、貧しさとにあえぎ苦しむ生活を送っている。

酒好きの放蕩旦那のズヴェーヴォは家に帰らず、母マリアは日々の食料を買うのにも労苦を重ねる。その父母への愛憎混じりの反抗期を迎えるアルトゥーロは、クラスメートのローザに恋をするが…

移民に対するアメリカ社会の厳しいリアリズムをベースに、セリーヌの呪詛とニーチェの怨嗟、ドストエフスキーの葛藤をリズミカルな短文にのせた伝説の作家、ジョン・ファンテ。最初期の自伝的小説群「バンディーニ・サーガ」の一作。栗原俊秀による翻訳で2015年、ついに初翻訳。

原題 Wait Until Spring, Bandini 2015.4 未知谷 

 

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 人間性に難があり、海馬に損傷もあるコパさん、今夜もよろしくお願いします。
※コパさんは人間に興味がなさすぎて人間のことをすぐに忘れてしまうし、6年くらい友達だけど多分私の顔と名前も曖昧です。 ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 今夜も渦巻ヒッチハイクにお呼びだしいただき、ありがとうございます。精進させていただきます。ところでこのコーナーなんでしたっけ? 


◆貧困妖精ファンファン

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 今夜取り上げるのは、ジョン・ファンテ『バンディーニ家よ、春を待て』。今回は長編をヒッチハイクしてみたいと思います。
ジョン・ファンテ(通称ファンファン)って去年あたりから結構話題になってきたのかな。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain すぐモラルを欠いたアダ名をつけるよね。貧困妖精はひどいぞ!
ファンファンは、キャリアを通じた代表作であるところの『塵に訊け!』の邦訳がだいぶまえ(2002年)にでて、この一冊で日本の海外文学ファンの心をグッとつかんだ印象があるな。

そっから10年ちょい経って、未知谷からおととし『デイゴ・レッド』、去年『バンディーニ家よ、春を待て』が立て続けに刊行、いきなり日本全国がヤマザキ春のファンテ祭りといった大騒ぎに。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 春の・・ファン・・何て??

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain それはいいとして、今回とりあげるのは最近でた2冊のうちの長編のほう、『バンディーニ家よ、春を待て』です。あらすじは上をみてもらうとして、まず最初に告白しておくと、私、この本読んでる時ずっと頭のなかでこれが流れっぱなしだったんですよね。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain どうしてだろう?

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 「どうしてだろう?」じゃないよ。バンしか合ってないからね?

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 意外!

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain そうだね。(アルカイックスマイル)

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain でさ、前にでた『塵に訊け!』の出版元が、あの化粧品のDHCだったのよ。DHCの出版部門は、ふだん英語教材とかだしてるんだけど、海外文学にも色目をつかってた時代が(かつて)あって。そんな経緯もあって『塵に訊け!』は今でも絶賛絶版中で、ここ最近はややカルト作っぽい?位置づけになってた感じ。ファンテもある意味で伝説の作家めいた空気は漂ってたもん。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain そんな中、未知谷春のファン(テ)祭りが開催されて、立て続けに二冊も出てくれて。今までファンテを手に取れなかったみんなたちも喜んで、各地でファンテ金剛像が建立されたってワケ。東京だと高尾山の麓にあって、お蕎麦を食べながらファンテ金剛像を見てファンテを読むってのが新しい観光プランとして人気だね。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain おっ今夜はとばすね。続けて。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 『バンディーニ家よ、春を待て』が出たのが1937年で、この作品はファンテの作家デビューから5年越しの初の長編になるんだよね。この前に14作の短編を執筆していて、その中の9篇が『デイゴ・レッド』に収録されています。

ファンテは従兄弟に宛てた手紙で、『バンディーニ家よ、春を待て』は心からでた小説、『塵に訊け!』は僕の頭とチンコからでたとか言ってるよ。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain ピピーッ!!!運転手さんとばし過ぎです。

※『塵に訊け!』は2006年に原題 Ask The Dust で映画化済。監督が「チャイナタウン」「ミッション・インポッシブル」脚本のロバート・タウン。主演はコリン・ファレルサルマ・ハエック。日本ではソフト発売すらされてないっぽいですね。

ブコウスキー激推し事変

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 『塵に訊け!』はブコウスキーが序文を寄せただけあって、疾走感だったり、登場人物のクズ感だったり(笑)が、ビート・ジェネレーションの文学と共通しているところがあったね。

チャールズ・ブコウスキー:アメリカの作家。代表作に『町でいちばんの美女』『勝手に生きろ!』など。酒!ドラッグ!酒!女!女!酒!というマッチョで骨太な印象があるけれど、その実とても繊細で傷つきやすく、その生きにくさを酒樽に叩きつけるように表現した作家。1994年没。

※ビート・ジェネレーション:第二次大戦後、1950年代〜1960年代あたりにかけて起こった一連の、ヒップでクールでメチャクチャかっこ良くて、抑圧された社会に風穴を開けた、まさに「路上」で起こった文学運動のこと。代表的な作家にジャック・ケルアックアレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズなど。のちのカウンター・カルチャーや音楽などにも大きな影響を与えた。ビート文学を語りだすとヨイヨルは三日三晩徹夜でしゃべり倒すのでこれくらいに。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain ブコウスキーは西海岸の人だしビート作家とは少し距離があるのだけれど、野砲図で野心をもった青春の引きずり方は共通するものがあるね。ブコウスキーの激推しがなければアメリカでの再発見も無かったと思うし、邦訳もされなかったと思うから感謝ですよ。

てかブコウスキーってファンテに完全に心酔しちゃって、彼女とケンカしているときに「おれはアルトゥーロ・バンディーニなんだよ!」とか言ってたらしいよ。つきあいたくなさの針が振り切れるエピソードだよね。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain ウワァ・・・(頭を抱える)

◆引き裂かれるファンファン

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 『バンディーニ家よ、春を待て』の主人公はそのブコウスキーがなりきっちゃったアルトゥーロ・バンディーニっていう少年で、この少年を中心とした両親、二人の兄弟の生活が描かれていくんだけど、とにかくバンディーニ家の人々はアンビバレンスな言動が多くて。引き裂かれまくってて。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain なんに引き裂かれているのか、っていうのがもうファンテ文学の核心ですよね。そこにあるのは、アメリカという国のもつ磁場、カトリックの教義、貧困にあえぐ家族の関係性で、それぞれがそれぞれの反対項、つまりイタリアとか罪とか富とか孤独とか、そういうものとの対決でボロボロになっていく。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain そのアンビバレンス感は冒頭のこの文章にもよく表れてるよね。

彼の名前はアルトゥーロだった。ところが少年はこの名前を憎んでおり、ジョンと呼ばれることを欲していた。彼の姓はバンディーニだった。ところがアルトゥーロはジョーンズという姓を欲していた。彼の父と母はイタリア人だった。ところがアルトゥーロはアメリカ人でありたかった。
p.30

バンディーニ家の人々はイタリア系の移民で、アメリカになんとかしがみついて生きていくんだけど、やっぱり学校ではいじめられるし、差別はいたるところにあって。自らも被差別者なのに、他の有色人種の人々に対して差別発言を繰り返して、そんな自分に落ち込んだりする。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain いちおう時代背景をみていくと、19世紀の終わりごろから、アメリカにはイタリア移民がどっと押し寄せる。ファンテのお父さん、この小説でのバンディーニ父もそのころにアメリカに渡ってきた人。ちなみに同じく一般的なイメージのキングオブイタリア移民であるところのドン・コルレオーネ(『ゴッドファーザー』)もこの頃にアメリカに渡ります。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 実際、アルトゥーロのお父さんであるズヴェーヴォの振る舞いには、イタリアに対してはさほど郷愁があるってほどでもないのに、そこがルーツであるゆえに離れられなくて、でも理想とする「アメリカ」にはいつまでも辿りつけない、もどかしさがあったなあ。

◆カトリシズムとファンファン

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain アンビバレンス感は、キリスト教に救いを求めていく母親の姿をすごく冷めた目で見てたり、それを否定するような言動をする割には、ずうっとキリスト教がまとわりついてたり自身の最後の救いみたいにしてるとこにも表れていたね。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain キリスト教、というかカトリシズムへのアンビバレンスな態度は、アルトゥーロが倫理的な罪を犯すシーンに一番象徴的に描かれる。いくつかあるこういったシーンが、この本通じての読みどころの一つ。

すごく生々しくて残酷な描写でもあるのだけれど、罪の意識をギュウギュウに抱えながら、宛先のない憎悪が暴発してしまう瞬間のやるせなさ。そしてそこからすぐに宗教的な救済を願ってしまう移り身の早さ。もうグラングラン揺れていて、その揺れ方がそのままこの小説のリアルな魅力になっている。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain そうそう。移り身の早さね。何かあってもすぐ告解して晴れ晴れとしてる。うじうじ悩んだりしないで罪を犯したらすぐ告解!みたいな。二日酔いのあとのソルマックかなっていう軽さ。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain このアンビバレンスが、母である「マリア」にもむけられていく。どうしようもない父親に反抗できない、愚かで慈悲深い母親。アルトゥーロはすごく怒りと情けなさを感じているんだけど、この愛憎入り混じりの心のグチャグチャもまたすごい。

そもそも当時のイタリア系カトリックはすごく家父長の力の強い保守的な風土。バンディーニ家があんなに貧乏ヒマ無し状態なのにマリアが労働する様子がまったくないのは、父ズヴェーヴォを家族の頂点にしなければいけないからだよ。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain なるほどね!お店でツケを溜めすぎて買い物しに行くのも気まずくて息子を使ったりして、そんなに辛いのにマリアは何で働きに出ないのかなと思ってたけどそういうことか。

ファンテの作品、貧困や社会への恨み妬み嫉みが通底してはいるけれど、ちょいちょいロクでもないエピソードが入っていて笑っちゃうんだよね。本人大真面目なんだけど傍から見るとイタいっていうところが笑いを誘うんだけど、あとからじんわりそれが切なくなってくるの。

で、さらに今回これだけは語っておきたいと思ってることがあるんですけど。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain なになに?

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain これは是非みなさんにも読んでもらいたいんだけど、主人公アルトゥーロが出すラブレターのイタさったらないの、完全に黒歴史になるやつで(笑)。本人めちゃくちゃカッコつけてるんだけど、その結晶たる文末がもう、ある意味鳥肌モン。このラブレターの顚末がもう身悶えするくらいイタくて、号泣するんですよ。

コパさんにもあるでしょ、こういうラブレター出したりした経験。私はあるよ。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain ・・・・・・お、おれはアルトゥーロ・バンディーニだ!!!(混乱)


アメリカ文学におけるジョン・ファンテ

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 80年代まで結構忘れられていたファンテだけれど、文体の特徴としては、まずはざっくばらんで乱暴な口語調に、繰り返しの多さだね。イタリア移民の置かれていた状況の現れとして登場人物たちが文盲であることが描かれるのだけれど、英語が得意ではない彼らの罵り言葉や一見無駄な繰り返しにすごくオリジナリティがある。

五時になった。アルトゥーロの五感は愛のために惑乱していた。ローザ、ローザ、ローザと口走りながら階段を下り、冬の夕闇へ身を投げた。聖カタリナ教会は、学校のすぐ隣に建っていた。ローザ、愛してるよ!
p.57

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain こういう短文のメチャクチャ素直な感情表現が独特のテンポと吸引力をつくりだしてる感じしたなぁ。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 確かに!この繰り返し、くせになるんだよねえ。すっごくストレートに、ぐいぐい来る感じ。シンプルで、誠実な文章だよね。
私はここが特に好きだなあ。前述したアンビバレンスな感じもよく出ていて、胸に迫るものがあった。

アルトゥーロは喜びに身震いした。おいおいうそだろなんてこったよ、なんてりっぱな身なりだよ!(中略)仕方ない、母さんには苦しんでいてもらおう、僕と弟たちは空腹に耐えよう。けれどそれだけの価値はある。あぁ、父さん、ほんとうに立派だったよ!アルトゥーロは急ぎ足で丘を下った。スキップし、ときおり丘のふもとへ石ころを蹴っ飛ばした。彼の心はそのあいだずっと、今しがた後にしてきた光景をがつがつ貪っていた。
ところが、なんの休息にもならない眠りをねむる、げっそりとやつれきった母の顔をひとめ見るなり、彼はまたもや父が憎くなった。
p.258

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain ちなみにこのころのアメリカ文学の流れはどうなっていたかというと、30年代は20年代に活躍したヘミングウェイフィッツジェラルド、シャーウッド・アンダーソンなんかのいわゆる「ロスト・ジェネレーション」が活躍した少しあとの世代。

おなじく口語体で大人社会への皮肉をくっちゃべり、ホールデン・コールフィールドというアメリカ文学史を代表する偶像を作り上げた『ライ麦畑でつかまえて』が51年。それより15年近く早い時期にこの文体を手に入れてるのはけっこうスゴイんじゃないかな。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain そう考えるとすごい、時代を先取り感がやばいね。先駆者もいいとこだよ。金剛像が建立されるわけだわ。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain ただ、アメリカ文学の正史にはのらないんだよね、ファンテは。『バンディーニ家よ、春を待て』は批評家筋からも評判上々だったのだけど、そのあとが続かず・・・。これが移民文学の運命なのか、はたまた・・・

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 正史にはのらずとも、ファンテ無しにアメリカ文学の醍醐味を知ることは出来ない・・・ファンテって、きっといわゆる「アメリカ文学の脚注」じゃないのかなあ。(ドヤ)

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain(乗っかりドヤ)

◆出版界のアイドル・未知谷

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 前述の通り、未知谷春のファン(テ)祭りを開催してくれたおかげで我々もようやく気軽にファンテを読むことが出来ましたので、ここは是非未知谷さんにもね、媚びを売って感謝の意を表していきたいと思うわけですけども。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 未知谷〜〜〜!

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 未知谷は小規模ながらも良い海外文学を出してくれてる出版社だよね。私も前に『亡命ロシア料理』で記事を書いたんだけど、これもすごく面白い本だった。

未知谷Twitterアカウントもあります。書いてる内容はまじめだけど、いいね!の傾向がてんで本好き個人アカウント。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 未知谷って正直ファンテの連続刊行で名前を認識したんだけど、あのサドの『ジュスティーヌ』とか未知谷だったんだね!これは全人類がもってるやつだよね。コパの高校でブラックメタル好きで革の指出しグローブしてた佐々木くんも持ってたもん。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain (佐々木くん…指出し…???) 神田の古本まつりで『デイゴ・レッド』を手にとったとき、「お目が高い!」って声をかけてくれた未知谷青年のキラキラした瞳、忘れらんねェな…。

全人類が持ってるサドの作品、私は人類じゃないから持ってないけど、ファンテを含め、未知谷が出している本は本当に魅力的なものが多いし、今後も期待したいところだね。

◆まとめ

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain そう、ファンテにもまだまだ邦訳されてない作品多いんだよね。

このアルトゥーロ・バンディーニのサーガの第一作 “The Road to Los Angels” は35年に執筆されてるんだけど、出版を拒否されて、ファンテが死んでから刊行。『バンディーニ家』と『塵に訊け!』の間の時代を描いたのかな。これも読んでみたいんだよね。未知谷〜〜〜!

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 未知谷〜〜〜!!

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 同じ作家をしつこくだすことで知られる未知谷〜〜〜!

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 「誰もやらないなら私がやります」がモットーの未知谷〜〜〜!!

 

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain では、今夜はこのあたりで。皆さん良い夜を!またね〜!

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain さようなら~!

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain しつこいよ!

渦巻ヒッチハイク 第一夜『ミニチュアの妻』マヌエル・ゴンザレス

渦巻ヒッチハイク アメリカ

突然やってきましたこのコーナー。国内外問わずブンガクをもっと楽しみたい、みんなたちにも読んでもらいたい!という意気込みと勢いで始めます。なんと、対談形式。
対談相手として、旧友で文学ヤクザのコパさんアートブックをお迎えしました。私達も楽しみながら、色々な本をヒッチハイクして東奔西走していきたいと思います。

栄えある第一回は、マヌエル・ゴンザレス著『ミニチュアの妻』からスタートです。
では張り切ってまいりましょう!

  

ミニチュアの妻 (エクス・リブリス)  f:id:yoiyoRu:20160123225226j:plain

 

[あらすじ]
妻は小さくなっていき、私はゾンビになっていき、友はユニコーンを拾い、父は狼と化し、ハイジャックされた飛行機は20年間飛び続ける…。
どうにも不可思議な世の中にもっと大きな不可思議さをもって立ち向かおうとする、アメリカからまたひとり現れた奇想の使い手が放つ第一短編集。
近年の英語圏文学の最も積極的な紹介者のひとり、藤井光による翻訳で日本上陸。


2015/12/19発売  白水社 エクス・リブリス 

 

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 自宅の風呂が強制収容所で有名なコパさん、ではよろしくお願いします。

※参考画像

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f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain そのシャワー室の電気が切れ、最近はもっぱら暗闇のなかでシャワーを浴びているコパさんアートブックです。よろしくお願いします。


◆奇想怪獣マヌゴン

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain マヌエル・ゴンザレス(通称マヌゴン)はこれがデビュー作なんだね。メキシコからの移民三世ってことだけど、あんまり移民ブンガクっぽさはなかったな。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain マヌゴン。マヌゴン???

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain ボラーニョとか、そのへんのラテンアメリカ系の作家が好きなんだなあ!ていう感じはすごいした。「◯◯◯、その奇特な人生」のシリーズとか。
※ロベルト・ボラーニョ チリの詩人、小説家。ラテンアメリカ文学の巨匠。遺作となった『2666』は鈍器力がつよすぎるため、引っ越しの際、うかつに箱に詰めると運送屋さんの腰をことごとく破壊する。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 総論から先に言うと…面白かった!広い意味での奇想系短編集なんだけど、読み味もいいし、設定も文体もバリエーションが豊かで、気楽な姿勢で楽しんで読めました。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain うんうん!色んな種類のがつまめてお得感あった。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain いわゆる奇想系・不思議系の短編小説家って昔からザクザクいるし、最近話題になったアメリカ文学なんてほとんどそうなんじゃ?って印象さえあるけれど。この本はいわゆる「幻想」や「ゴシック」の文脈ではない、もっとカジュアルでポップさのある奇想で。

例えば、ボルヘスシュールレアリスムなんかは、私たちの”いま/ここ”からどれほど離れていくか、が肝なところがあるところ、マヌゴンはそれとは明らかに違ってる。写真家でいうとマン・レイではなくてうつゆみこ的な世界観。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain ボルヘスたちは日常から離れてなんぼみたいな。確かに「アレフ」読んだ時ほんと宇宙行っちゃったきがしたもん。確かにマヌゴンはそのへんとは違ったね。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain マヌゴンはあくまで日常を手放さない。物語の出発地点にはそうとう突飛な設定を持ってきておいて、もっとB級SF的なホッコリ感がある。

不思議な設定の物語を読んでいくと、不意に「あんまり不思議でないもの」が現れてくる瞬間があって、それが普段の私たちの暮らしに潜んでいる不思議さに跳ね返ってくる、みたいな。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain その突飛な設定から日常に帰ってきた時に世界の見え方がちょっと変わるという。突飛さはあるけど、地に足がついてる感じはするよね。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 気が付かない足元の日常を照らすための、奇妙な形のサーチライトのような。文章の変化球具合もなかなかだよね。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain サーチライト!そうだね。自分の影が普段より少し奇妙に見えたりする感じね。文章自体は緻密で余白がないんだけど、ラストに突然バツンって切れて余白が来るのが、はじめすこし戸惑うんだけど読んでくうちにクセになる。

エイミー・ベンダーとかリディア・デイビスとかは行間に余白があるというか、文の網目がゆるくてそこに自分が入り込む隙間があるんだけど、マヌゴンにはそれがない。
物語を背負ったまま荒野にバンって放り出される快感があった。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain そうだよね。行間の無さ、情報の詰め込み方は特徴的だった。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain ミチミチに文が編まれてて、息も長いし、最初はちょっと読みにくいなと思ったんだけど、読んでくうちにそれが気持ちよくなってくるの。ミチミチに編まれたセーターをすぽって脱いだときのすっきりさみたいなのがあって。二篇目の「ミニチュアの妻」あたりから文体にも慣れてきて、「もっと放り出して!」てなる。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 文体には幅があって、疑似ドキュメント文体、ラテンアメリカ記録文学のような語り口も駆使してくる。デビュー作らしく、飽きさせないバリエーションの豊かさがあったね。

◆表題作「ミニチュアの妻」

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 表題作「ミニチュアの妻」よかったね。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain あらすじを簡単に説明しておくと、主人公は小型化業界(なんだそれ)で働く部長さん。ある日いきなり奥さんが小さくなってしまうのだけれど、それがなぜ、どうやって起こったかっていうことは全く説明されません。むしろこの旦那、あまりそのことに驚いてもいない。「問題は、妻の状態が僕の仕事に影響するようになってきたことだ。」(p.33)とかとぼけたこと言い出します。そんで…

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 次第に戦い始めちゃうっていう。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain そう、妻のお世話をし始めるのだけれど、姿が見えない妻との夫婦喧嘩が、だんだん洒落にならない戦争状態になってくる。このアイロニカルな展開はさすが表題作、抜群に面白かったね。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 一番最初に収められてる「副操縦士、操縦士、作家」も「ミニチュアの妻」と同じで、「20年間一度も着地せずに飛行機で飛び続けてる」っていうのがもう日常になってて。「飛び続けてる」ってのがまずおかしいんだけど、その奇妙さをメインに出さないで、その上での日常を描いていくのが面白かった。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 飛行機がハイジャックされてるっていうのにまるで危機感がなくて。主人公の男なんてこんなことを思う。

最初のころ、誰にもこの悲劇を生き延びられまいと思った僕は、それまでの人生で最も恋しく思うのは妻のことだろうと考えていた。(中略)だが、自分は死んだわけでもなく、重傷を負ったわけでもなければ、消息不明でもなく、厳密には孤独でもない身で機上にいるとなると、一番恋しくなるのは生活の基本的な要素だ――立ち上がり、歩き回り、体を完全に横にして眠り、セックスをする。そして何よりも、食べ物が恋しい。
p.19 

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain ゾンビもののひとつ、「僕のすべて」のラストもそうなんだよね。ニンゲン(ゾンビ?)の3大欲求に抗えない・・・って感じのラストで。自分がゾンビってる(?)ことについては割りとどうでもいいみたいなの。

「僕のすべて」はその設定の奇妙さに加えて、自分の中の「ゾンビ部」と「ニンゲン部」の境目がわかりにくく書かれてて。人称はずっと「僕」なんだけど、「ゾンビ部」と「ニンゲン部」がせめぎあってる感じがよく出てた。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain あのふらふらした視線すばらしかった!

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plainキャプラⅡ号星での生活」と「ショッピングモールからの脱出」は低予算SF映画っぽさあったね。アクションが生々しくて、目が楽しかった。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain キャプラⅡ号星はすごく「オール・ユー・ニード・イズ・キル」っぽかったな。

※「オール・ユー・ニード・イズ・キル」は桜坂洋原作、ダグ・リーマン監督、トム・クルーズ主演のタイムループもののSF映画。繰り返されるエミリー・ブラントの腕立て伏せは2014年洋画界でさいこうの瞬間の一つ。あの上腕二頭筋をみよ。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain そうだね!「なんとかこの忌々しい状況を切り抜けてやるぜ」ていう意気込みとアクションが良い感じでマッチしてて興奮したなー。

 ◆英文学における創作科

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain マヌゴンを語るうえで外せないと思うのは、英米の大学院にある創作科の存在、いわゆる「クリエイティブ・ライティング」のコースのこと。有名作家が教授として教壇に立って、ワークショップやったり理論を学んだりできるところで、だいたいフィクション・ノンフィクション・詩なんかのコースがあることが多いのかな。

20世紀以降のアメリカ文学の厚みは、こういう創作科出身の作家によって支えられてると言ってもよくて。いちばん知られてるのがアイオワ大学創作科。卒業生のリストがすごい。フラナリー・オコナーテネシー・ウィリアムズレイモンド・カーヴァー。最近だとダニエル・アラルコンイーユン・リーもそうだね。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 確かに、現代アメリカ文学の著者経歴紹介でよく見るね。日本だと磯崎憲一郎くらい? 

磯崎憲一郎は去年東京工業大学大学院社会理工学研究科の教授になりました。元三井物産広報部長。すげえ。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain こういう学科が収入が不安定な作家への就職先としても機能していて、冷戦時代には政治から創作を守るような働きもしていたみたい。ジョンズ・ホプキンス大学ジョン・バースが長く教えていたね。イーユン・リーもミルズ大学文学部創作科で教えているし、マヌゴンもどっかで教えてるしょ。

ジョン・バースはアメリカのポストモダン文学を代表する作家。代表作に「酔いどれ草の仲買人」「やぎ少年ジャイルズ」など。

で、マヌゴンがいたのはコロンビア大学大学院のクリエイティブ・ライティング。J.D.サリンジャーの出身校。最近だとウェルズ・タワーも一緒。

ここでマヌゴンはベン・マルクスっていう教授に教わっていました。ベン・マルクスは日本では翻訳はないけれど*1、短編中心に活躍中の作家。2014年に”Leaving the Sea”って短編集をだして、村上春樹がとったフランク・オコナー国際短編賞の候補になっている。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain ふむふむ。日本だと創作科出身なんて、ほっとんどいないよなあ。そもそも大学で創作科があんまりないよね。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 東海大とかにあるみたいだけど、少ないよね。磯崎さんも東工大で教えているのは「文学」であって創作じゃないよね。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain そっか〜。なんていうか、日本だと「読むこと」がすごく受動的なんだよね。大学での創作科もそうだけど、現代詩が流行らないのもそのせいな気がする。詩ってすごく能動的な読みを必要とするから。

チリとかだとみんなすごく詩書いてて。国民の2/3くらい詩人でしょ。すぐ詩書いちゃう。短歌とかは割とポップでキャッチーでわかりやすいところがあるから、まだ受け入れられやすいけど。現代詩、読むと本当に面白いからもっと日本でも詩が読まれたらいいし、みんな書けばいいんだよ。一億総詩人社会。

最近だと最果タヒ結構面白いことやってて、若いひとたちにも詩に触れるきっかけをつくってくれてるんだけどね。まだまだ少ない。最近みつけたイベントだとこんなのもあって、今年は絶対詩が来るしもっともっと気軽に詩を楽しめるようになったらいいな。いっそギャルたちに現代詩読んで欲しい。特に黒ギャル。黒ギャルってそういえばまだいるの?

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain ・・・マヌゴンの話にもどっていいすか?

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 黒ギャ・・・しょうがねえな!

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain マヌゴン、これが本格デビューのわりに初期衝動や筆の勢いなんかをあんまり感じないところがさっきの創作科っぽいところかなぁと思ったところなんだよね。

たとえばさ、2014年に話題になったパク・ミンギュ『カステラ』も、同じような突飛な発想を持ち込んでくる短編集なんだけど。読んでいくと、社会から外れてしまった人たちや、いわゆる「負け犬」とされてしまう人たちへ寄り添う姿勢が一貫していて。奇想や文体よりも先に「伝えたいことが、あるんだ」タイプの作家だと思った。

そういう想いの強さみたいなものを感じさせるタイプではなかったね、マヌゴンは。

ゾンビとかSFとか、サブカルチャーの要素を文学のフィールドに堂々と持ってくるっていう意味では『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』の感性を共有しているけれど、ジュノ・ディアスにある屈折感とか自虐のにおいが全く無い

 f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain マヌゴンは本人がオタクって感じはしなくて、そういうカルチャーを外側から見てるよね。渦中から一歩引いた視点がある。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain そこらへんが好みがわかれるところかもしれないね。

 ◆セバリ族の失踪 

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain そんななか、コパさんアートブックが一番好きだった一篇は、セバリ族の失踪。ある若手民俗学者が忽然と姿を消してしまい、大発見だとされた彼らの研究がすべて嘘だったことが明かされる、という筋立て。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 偽の研究をしていた二人を研究するデニーズっていう学生が出てきて・・・っていうところでヒネリが効いてる。で、このデニーズちゃんがまたいいんだわ。デニーズちゃんの立ち位置が読者を日常からかろうじて離さない感じはあったね。最後の一言も良かった。フィクションから離れようとするんだけど、まだ未練はあって。 

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain これはマーガレット・ミードの『サモアの思春期』のことを下敷きにしてるお話だと思う。

でもこのデニーズちゃん「研究者たちのウソを暴いてやる!」とはならずに、虚構だろうがなんだろうが”ゼロから何かを生み出す”ことの果てしない魅力みたいなものにとりつかれそうになる。マヌゴンが創作っていうものに抱いている想いが伝わってきてすごく好きだったな。

※「サモアの思春期事件」文化民俗学者のマーガレット・ミードが、ポリネシアサモア族って部族の性役割を研究して、フェミニズムにもめちゃくちゃでかい影響を与えた業績でしたでもこれが後年になってある民俗学者から「調査方法から内容まで全然違うよ!」と批判された、ソーカル事件とならぶ20世紀人文学史における2大ちゃぶ台返し

◆翻訳界期待の星・藤井光さん 

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 藤井さんはねえ、一言で言うと「サイコー」なんだよね。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain ほんとここ5年くらいの活躍がめざましいよね。ツイッターでもよく情報発信してるし、今の英語圏文学の紹介者として、ポスト柴田さんがようやく出てきた感ある。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 柴田さん!!いきなり大御所きたね。

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 最初はさ、あれだよね、デニス・ジョンソン『煙の樹』。あの鈍器を訳してドーンとでてきた印象。で、そのあとみんな大好きサルバトール・プラセンシア『紙の民』を訳して、あの重厚な『アヴィニョン五重奏』だもんね。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain まだ若いんだよね。『煙の樹』が6年前で。まだ35歳とかでしょ。 

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 向こうでもまだ若手の小説家を、いち早くピックアップしてもってきてくれるテキストジョッキーみたいな人だよね。amazon.comでレビューが少ないやつをとりあえず注文してみる、って何かで言ってたな。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 藤井さんは良質な、なんていうかこう隠れ家っぽい?セレクトショップ岸本佐知子さんも全然ハズレのないセレクトショップなんだけど、高円寺の古着屋っぽくて。「岸本テイスト」を味わいたいなってときにはそこに行けば間違いない。

それに比べると藤井さんは結構セレクトがバラエティーに富んでて、しかもそれが一定のクオリティーを満たしてるからこっちはこっちで間違い無さがあるんだよね。色々選べて楽しいというか、発見もある。 

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 藤井さん翻訳だと、ほかにもロン・カリー・ジュニア『神は死んだ』セス・フリードの『大いなる不満』も傑作の短編集でしたよ。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 『神は死んだ』は傑作すぎて写経しましたからね。一発目でズギャンって撃ちぬかれた。

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f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain えっ きもちがわるい!

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 読んだ本の好きなセンテンスは写経するでしょ?え?しないの? 

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain ・・・。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 『神は死んだ』、テーマがタイトルの通りなんだけど、それを様々な文体で書いてて、すごく良かった。テーマはブレないくせにほんとに色んなやり方で見せてくれて、この写経した文もそうだけどいちいちカッコイイし。 

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain (なにこの中途半端にきれいな字・・・)

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain と、と、とにかく、藤井さんの翻訳本はチェックしてて損はないしお釣りが来るよ。これからどんなものを日本に持ってきてくれるのかすごく楽しみ。


◆今夜のヒッチハイク~まとめ~ 

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain 『ミニチュアの妻』はすごく間口の広い作品だと思うし、ライトな読み口で気楽に読めて、かといってライト過ぎないバリエーションの豊かさもある、よい作品だと思うな。こっからいろんな方向に行ける、入口になるような一冊。これまであげた作家以外にも、カレン・ラッセルや安部公房、初期のフリオ・コルタサルなんかが好きな人が手を伸ばしてみると気に入りそう。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 奇想・奇妙な味好きにはもちろん、外国文学あんまり読んだことない、SFもちょっとむずかしいかな・・みたいな人にもおすすめできる入門編にもなるかもね。岸本佐知子さん編・訳の名アンソロジー『変愛小説集』『居心地の悪い部屋』とか好きな人もハマるかもしれない。

※ちなみに奇妙な味系だと創元からもとても良いアンソロジーが出ています。オススメ。

 

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain ちなみにマヌゴン、向こうでは4月に新作がでるよ。

The Regional Office Is Under Attack!』ってタイトルで、Regional Officeっていう世界を脅かす悪の組織に、女暗殺団が立ち向かう…みたいなストーリーみたい。400ページ越えの長編だね。邦訳される気がしないぜ!

 f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain マヌゴンは普通にメチャクチャ上手いから、一回全然書けなくなってからどう化けるかっていうのも見てみたい(笑)。 

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain マヌゴンもこのコーナーと同じ、まだまだこれからが本番なのです・・・。

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain 取ってつけたようなことを言うな!!
じゃ、今夜のヒッチハイクはこのあたりで。皆さん、良い夜を!

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain (あ、ヨイヨルってその意味だったんだ…) 

f:id:yoiyoRu:20160119014853j:plain バイバーイ!

f:id:yoiyoRu:20160119105254j:plain さようならー!    

*1:2016/2/7追記:ベン・マルクスAmazonではベン・マーカスの表記)は日本では2000年に『沈黙主義の女たち』(河出書房新社、残念ながら絶版の様子)という作品が出版されていました。Twitterにてピンチョンやハリ・クンズルなどの翻訳もされている木原善彦さんからご指摘いただきました。木原さん、ありがとうございました!