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東京国際文芸フェスティバルレポート(前半) 3月2日オープニング!

 

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来たぜ、文芸ファンのお祭り!ということで、3月2日から6日にかけて開催された東京文芸フェスティバルのうち、2つのイベントに行ってきましたので、そのレポートをお送りしたいと思います。前半はオープニングについて。

※内容に関してはうろ覚えのところもあるので、詳細に関してはきっと後々公開されるであろう各種雑誌でのレポートなどをご覧いただくと良いかと思います。

3月2日 オープニング

場所は六本木のアカデミーヒルズ。選ばれし民しか利用できない高級自習室の代表ことアカデミーヒルズの中にあるホールで行われた文芸フェスのオープニング。入場からしてインターナショナルかつアカデミックな雰囲気がすごくてまごつきましたが、直前に観た「ヘイトフル・エイト」のド派手な血糊シーンを思い浮かべて勇気を奮い立たせました。

まずはイベントのスポンサー・日本財団理事長の挨拶、アメリカ大使館の方、沼野充義大先生のありがたいお言葉など。
沼野先生曰く「今回、参加予定だった作家の何人かが政治的な理由などで来られなくなってしまったことなどもあり、こんなところで平和にお祭りやってて良いのかな?って思う人もいるかもしれません。でも、今いる場所で今できることをする、だからこのお祭りで文学を通して、文学を楽しむことが大切なんです。だから思いっきり楽しみましょう」とのこと、コレは本当にそう、世界は色々大変だけど、このフェスで文学に触れて、触れ直すことで世界を知ること、それが今できることの一つだと思います。

 

<第1部>
「私たちはただのノイズ、私たちは言葉で出会う」

NY、韓国、沖縄などから来た子供たちのポエトリーリーディング。子供の頃からこういうイベントに立って自分の作品を朗読するのって、ものすごく貴重で稀有な体験だと思う、みんなちょっと恥ずかしそうだったけれど、概ね笑顔で良かった。今回の子どもたちの詩がどうというより、彼らが将来どんなふうに詩や文学にコミットしていくのかが私はとても楽しみ。

続いて、エリザベス・アレクサンダーが登壇。彼女はアメリカの詩人・エッセイスト。大学で教鞭もとっていて、オバマ大統領就任式での朗読が有名。彼女は詩人が担う役割をホイットマン、ロバート・ヘイデンなどの作品を交えて分かりやすく話してくれた。移民なくしてアメリカの今後はない、「所有物」であった奴隷たち、「所有者」であった人たちの沈黙に息を吹きかけること、「思い出して」いくことが大切なんだよって話で、私はちょうどエリクソンの『Xのアーチ』(これも奴隷の女性をめぐるお話)を読んでいたのですごく納得。
「詩人の仕事は、民族の歴史を描いていくこと、真実を謙虚さを持って語ること」これを詩人の肉声で聴けたって事実でもう泣いてしまう。

オバマ大統領の就任式のために詠まれた『Praise Song for the Day』を彼女の声で聴く。(配られた冊子の訳は柴田元幸

詩人の声は本当に、彼女も言っていたとおり、お腹に直接生きて届く。目で読むだけじゃ伝わらない何かが、朗読には絶対にあって、特に詩はそれが大きいなあと改めて実感。詩には音読することで爆発する何かがあるんだよなあ、何なのかはわからないんだけど。

どうでもいい、いや、よくないんだけどこの会場、椅子が固くてお尻が痛い。

<第2部>
離れるほどに近くなる ―私から離れて生まれる物語、私の中から生まれる物語

小野正嗣をモデレーターに、イーユン・リーと角田光代のトークセッション。小野さんのスーツがメチャクチャオシャレだったので目が潰れました。

角田さんは元からイーユン・リーの大ファンだったらしく、大好きですオーラがビンビン。イーユン・リーも瞳がキラキラしていてとても素敵。

特に印象的だったのは、二人が小説のネタ(無粋な言い方でごめんなさい、セッションではこの言い方はしてません)をどこから拾うか、というお話。イーユン・リーは新聞の誰も見ないような小さな記事から物語が生まれることがあると言っていて。「ダイナミックな事件や事故は、それだけでドラマになってしまう、私達がやるべきは小さな市井の声を拾うこと(大意)」、この言葉が今の新しいアメリカ文学のキーワードでもある気がしました。

イーユン・リーは物語を書くときに、「物語と物語が語り合う」、他の物語と呼応するように書くことがあるとも言っていて、これもすごく興味深かった。文体や描写風景なんかがほかの物語と呼応して新しい化学反応を起こす・点と線が繋がる感覚は読んでいてもあって、単なる「元ネタ」「影響」というものを超えた不思議な感覚が生まれるのが文学の醍醐味よね。

この時点でもうお尻が痛くて限界。選ばれし民たちが利用するスペースをウロウロして六本木の夜景などを堪能するも、ケツの痛みはどこにも行かない。

<第3部>
キテレツのチカラ ―フィクションにしか伝えられないもの

 我らが翻訳界のアイドル、藤井光をモデレーターに、セス・フリードと西加奈子のトークセッション。

「皆さん、お尻痛くなってませんか―?ストレッチしますかー?」という西さんの優しさでお尻が爆発しつつ、第一部が終わったときに張り切って空いていた一番前の席に移動したら、完全に関係者面になっていたことに気づいて卒倒しそうになりましたが、業界ナンバーワンブログ代表なので、こんなことくらいで負けない。(顔面蒼白)

テーマは「キテレツのチカラ」。セスの紡ぐ物語は設定が結構突飛で、 時代も距離も遠いところが多いのに、「これって私のことなんじゃない?」なんて感じてしまう不思議について。(このことは後半、東大でのセッションでも語られているのでそちらで詳細を書きます)西さんの持っていたセスの著作『大いなる不満』は付箋でビッシリ。私は西さんの著作は読んだことがないのだけれど、「(どんなにキテレツな話でも)自分が本当に信じられることしか書かない、私にとってはカモメがエッキョーーーって鳴くのは真実なんです」と語っていたのがすごく響いてしまったのでエッキョーーーって鳴く小説読みます。(どれだかわからないのでインターネットにいる賢者たちに教えてもらいたい)

そしてセスと西さんの著作について、ふたりとも猿を逃がすお話を書いている、というのがすごくかわいかった。(セス・フリードの猿を逃がす話は『大いなる不満』収録の「格子縞の僕たち」)猿を逃したいふたり。猿は逃したいよね。そして私たちはMONKEYを読む・・・

とにかく、西さんの笑顔がめっちゃキュートで、セスもそれに引っ張られてニコニコしてたのが可愛くて仕方なくて、そればっかり見てしまい話をろくにメモせずにいたせいでこれくらいしか書けないのだけれど、ふたりの物語との距離感の取り方、遠くから日常へ、日常から遠くへの羽ばたき方を聞いて、どっちにしたって、現実を強固にするためのものなんだな、物語は現実から逃げるためのものではなくて地に足をつけるためのものなんだ、と拳を握りしめ、痛むお尻を抱えながらもホクホク顔で帰路につく私でありました。

ということで前半レポートでした!後半に続きます。